水浴画今昔物語〜19世紀パリ編〜
「絵画に潜むエトセトラ」も早4回目を迎えました。これまで、洗濯船や都市化が進む19世紀パリの様子などをご紹介してきました。今回は引き続き当時のパリの様子とともに、水に関連した「水浴画」についてご紹介します。
当時のパリの公衆衛生は少なくとも清潔とはいえないのが現状でした。急激な都市化や産業発展はコレラや腸チフスなど伝染病の流行の原因となり、国家にとっても深刻な問題となりました。これにより清潔の重要性が説かれ、公衆衛生への関心が高まります。特に身体衛生に対する気配り、つまり伝染病にかからないための対策として、入浴して皮膚の清潔を保ちましょうという指南もあったとされています。
この入浴などをめぐる当時の社会背景から、近代的な水浴画の成立をうかがうことができます。
元来、水浴画、ひいては水浴する裸婦像は西洋絵画史において伝統的な主題で、神話ではヴィーナスやディアナ、聖書ではスザンナやバテシバなどがその代表格であり、神聖なイメージが求められていました。しかし、時代が進むごとにその描写は次第に変化していき、寓意的な裸婦像から現代的な女性、野外から浴室などの私的な室内といった近代的な浴女の姿が描かれていきます。入浴や浴室に関わる社会背景がこのように西洋絵画史における水浴画の変遷に色濃く反映されていてとても面白いですよね。
さて、こちらは当館所蔵の《水浴する女達のいる森の風景》(1899)という作品です。作者はナビ派*の画家ピエール・ボナール(1867−1947)。彼は元々法学の勉強をしていましたが、その傍ら通っていたアカデミー・ジュリアン、エコール・デ・ボザールでナビ派の仲間となる画家達と親交を結び、のちに画業に専念することになります。特にナビ派の中でも「日本かぶれのナビ」とも称されたボナールは、絵画のみでなく屏風や装飾パネルといった装飾性に富んだ造形表現を特徴とする多彩なジャンルを手がけていました。
本作の舞台は鬱蒼と生い茂る森の中。よく見ると真ん中には水浴びをしている女性達がいます。草上で寝そべっていたり何かに腰掛けていることから、彼女達が寛いでいる様子がうかがえますね。一見すると水浴にまつわる神話や聖書の一場面を描いているようにも見えますが、ナビ派の特徴に見られる装飾的な造形表現をより重要視していることがわかります。
ボナールが水浴、また浴室を描いた作品は他にもまだまだあります。図版ではご紹介できないのですが《浴槽の裸婦》(1936、プティ・パレ美術館蔵)でも見られるように、彼が描く水浴のテーマは光と色彩に満ちた画家の愛情が感じられる一方で、作品に度々登場する妻マルトが患っていた神経障害や死を連想させるものだとも考えられています。
社会背景が密接に関係しているのは何も水浴画に限った話ではありません。あらゆる主題、様式、そして芸術思想も当時の情勢に影響を受け変化していきます。だからこそ多種多様な作品が生まれ、今でも私たちを魅了してやまないのです。
*ナビ派:ヘブライ語で「預言者」を意味する「ナビ」という用語を使ったグループ。ポール・ゴーガンをナビ派の父とし、絵画における自然主義や現実の模倣に反発し、装飾性と抽象性を目指した。グループはゴーガンから直接教えを受けたポール・セリュジエをはじめ、ボナール、エドゥアール・ヴュイヤール、モーリス・ドニらが加わっている。
■ 諸橋近代美術館 西洋近代絵画担当 学芸員