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絵画から学ぶ。19世紀パリ、驚きの洗濯事情!

あっという間に師走も折り返し地点を過ぎ、2020年もそろそろ終わりへと近づいて参りました。そしてついにやってくる大掃除。掃除には洗濯も付き物です。さて今回は、私たちの日常生活にも欠かせない「洗濯」から、19世紀パリの洗濯事情を見ていきましょう。

ルノワール_洗濯船

こちらは当館所蔵のピエール=オーギュスト・ルノワール《パリ郊外、セーヌ河の洗濯船》(1872−1873)という作品です。タイトルからパリ郊外のセーヌ河沿いの河岸が舞台ということがわかります。ですが、一つ気になる用語が…。そう、「洗濯船」です。

文字通り洗濯する船だということがわかります。ルノワールの絵にも河岸に停泊しているの屋根のついた船が描かれていますね。この船の正体こそ「洗濯船」です。

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パリに洗濯船が登場したのは15世紀末頃。それ以前、市民は直接セーヌの土手で洗濯をしていました。しかし、汚染水が流出した衛生上よくない場所でも洗濯する人が多くなったことから洗濯船が誕生します。これには市民も喜び、当初パリ中心で営業していた洗濯船も19世紀後半には郊外へ進出していきます。

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当時の洗濯船の多くは1階が洗濯場、2階が乾かし場となっていました。よく見ると作中に描かれている洗濯船も2階構造となっているのがわかります。
女性たち(主に洗濯女)は船主にお金を支払ってから船の一画を借り、まず持ってきた衣類などを川水に浸けます。そして布地に炭をかけ、棒で叩いたりこすったりします。当時は古来より使われていた木炭をまだ洗剤として使用していました。汚れを落としたら川水ですすぎ、2階の乾かし場で洗濯物を干します。これが一連の流れです。

現代でいうコインランドリーのようですよね。水だけでなくお湯も使えたことから、船には煙突が備わっていました。作中の洗濯船にも煙突がついているのが見られます。

岸辺にはこれから洗濯船へ向かうのか、はたまた洗濯が終わってこれから家へ戻るところなのか、洗濯籠を持った女性がいます。

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20世紀に入ると上下水道が完備されるようになり、やがて洗濯船の人気は徐々に衰退していき、パリから姿を消していきました。しかし、パリの人々にとって洗濯船はなくてはならない存在だったことがわかります。

■ 諸橋近代美術館 西洋近代絵画担当 学芸員